〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

意外と多い?鉄道会社が経営した航空会社

今回の迷航空会社列伝はカナダ第2位の航空会社だったカナディアン航空です。


迷航空会社列伝「仁義なき空中戦」カナディアン航空 前編・官と民のぶつかり合い

 

前編ではカナダ太平洋鉄道傘下のカナダ太平洋航空とカナディアン・ナショナル鉄道が母体のトランス・カナダ航空の争いを書きましたが、両者に共通するのは「鉄道会社が母体の航空会社」ということ。日本では新幹線vs航空機の競合路線が多いため、鉄道と航空は敵対関係にあると思われがちですが、それはあくまでも長距離路線が主体の国鉄→JRの話。私鉄各社にとっては日本中、世界中にネットワークを広げる航空はむしろ協力関係にあることが多く、中には鉄道会社自ら航空会社の経営に乗り出すケースもありました。

 

ケース1・東急電鉄

航空業界と関わりの深い私鉄というとこの会社を置いて他にはないでしょう。グループに日本エアシステム(JAS)を抱え、JAL破綻までは筆頭株主だった東急電鉄。グループの総帥だった五島昇が航空産業に強い興味を持っていたこともあって自社で航空会社を保有することを目論みます。当初のターゲットは極東航空→全日空でしたが失敗。後に1961年の富士航空の東急グループ入りで念願の航空業界参入を果たします。その富士航空は1964年に日東航空、北日本航空と合併して日本国内航空となり、さらに1971年には広島の東亜航空と合併して東亜国内航空となりました。とは言え、合併当初の東亜国内航空はYS-11中心のプロペラ機しかなく、路線も国内ローカル線だけという弱小航空会社。実際のところは大手の日航と全日空には遠く及ばない規模で、万年赤字を垂れ流す東急グループのお荷物でした。

その弱小会社の立て直しに東急から送り込まれたのが、東急の副社長でグループの大番頭と言われた田中勇社長。彼は徹底した経費節減と不採算路線の整理、羽田発着の高需要地方路線の参入・ジェット化で黒字化を達成し、国内幹線参入やワイドボディ機のA300導入、そしてついには日本エアシステムへの社名変更に国際線参入と、弱小ローカル会社だった東亜国内航空を大手三社の一角を占める航空会社に育て上げました。

しかし、元々財務体質は強く無かった上に、国際線参入時に相当無理をして投資したツケが、バブル崩壊以後JASにのしかかってきます。頼みの綱の東急グループも業績は芳しくなく、グループの発展に貢献しない会社は次々に切り離していきました。五島昇が1989年に亡くなった後は東急グループの航空事業への関心も薄れ、4000億の有利子負債を抱える今のJASは東急にとっては完全なお荷物。最終的にはJALとの統合で東急グループを離脱しますが、その後もJAL破たんまでは東急はJALの大株主であり続けました。

 

JAL破綻後は航空会社の経営からは完全に手を引きましたが、2016年には仙台空港の民営化に際し運営会社に名乗りを上げ、東急本体で42%、グループの株も含めると過半数の54%を保有し、経営の主導権を握りました。航空会社から空港へと形は変わりましたが、東急グループと航空業界との関係はまだまだ続いています。

 

ケース2・名古屋鉄道

全日空の前身である日本ヘリコプター輸送の出資者の一人であり、長らく全日空の筆頭株主だった名鉄。日ペリ時代から全日空の総代理店を務め、名古屋空港ビルディングにも出資するなど早いうちから航空に関心を持っており、名古屋で全日空の力が強いのも名鉄の影響力のお陰。中部国際空港のアクセス路線にも早々と手を挙げるなど、名鉄と航空業界は切っても切れない間柄と言えます。

 

そんな名鉄も、自前で航空会社を作った時期があります。1988年に設立し、1991年から運航を開始した「中日本エアラインサービス」名鉄と全日空が共同で設立したコミューター会社ですが、設立当初は名鉄グループ80%、全日空20%と主導権は名鉄が握っていました(但し名鉄本体の出資は10%。筆頭株主は(株)名鉄総合企業35%、2位は事業用航空大手の中日本航空25%。もっとも、中日本航空も名鉄グループですが)

不定期のコミューター航空会社として設立された中日本エアラインサービスですが、56人乗りのフォッカー50を使用し、ドリンクサービスを行うなど定期航空会社と遜色のないサービスで話題を呼び、利用客の多い名古屋空港を拠点にしたこともあって順調に業績を伸ばしていきました。業績は決して悪くなかったのですが、2004年10月に名鉄グループ保有の株式のうち35%を全日空に売却し、翌2005年2月17日、中部国際空港の開港と同時に社名を「エアーセントラル」に改称。便名も全てANAに統一され、その後全日空のグループ再編で「ANAウィングス」に吸収合併されて姿を消しました。

恐らくは中部国際空港開港を機に名古屋発着のローカル線を強化したかった全日空と、2003年に598億円の経常損失を計上し、事業整理が急務だった名鉄との思惑が一致したが故の売却劇だったのではないかと思います。ですが、もし名鉄が本気でこの会社を軌道に乗せようとしていれば、あるいは今のFDA的な会社になっていたかも・・・?

 

ケース3・近畿日本鉄道

グループ内に近鉄エクスプレスという物流会社を持っているものの、航空会社とは縁の薄そうな近鉄ですが、JASの前身の一つ、日東航空に出資していたことがありました。もっとも、その日東航空は東急系列の富士航空と合併して日本国内航空になるわけで、合併後しばらくして近鉄は航空事業からは手を引いたようです。

 

 

とりあえず調べてみただけでも3つの大手私鉄が航空会社の経営に関わっていたようです。その他にも阪急や南海も航空業界参入を目論んでいたようですが、これに関しては断片的な情報しかないので今の段階では触れるのは控えます。詳細が分かったら改めて書きたいなと思います。