〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

「実質値上げ」と言われた「のぞみ」とあまり言われなかった「はやぶさ」

東海道交通戦争第6章、後編はJR東海の品川新駅の建設とのぞみの増発を中心に紹介しました。

 


東海道交通戦争 第六章「シャトル便戦争」後編

 

後半はのぞみ大増発で「のぞみ料金」が必要な列車が増え、実質的な値上げになると反発され、のぞみ料金値下げに踏み切らざるを得なかったJR東海の姿を描きましたが、この8年後、同じく特別料金が必要な列車にほぼ統一しながら、大した反発も受けなかった例があります。

 

2011年3月5日のダイヤ改正で、東京ー新青森間に「はやぶさ」が運行を開始しましたが、その際、「はやぶさ」料金が設定され、最大で500円(現在は510円)の加算料金が必要になりました。当初のはやぶさは1日3往復だけでしたが、現在では東京〜新青森新函館北斗間ではほぼ全ての列車(盛岡・新青森新函館北斗間のみ走行の区間列車を除く)が「はやぶさ」となり、実質的に盛岡以北の新幹線は値上げとなっています。

じわじわと追加料金が必要な「はやぶさ」に差し替えていったのですから青森県民の反発を受けそうなものですが、「はやぶさ」は「のぞみ」の大増発の時のような猛反発は喰らっていません。なぜでしょうか。

 

理由1:値上げと引き換えに車両を置き換え、所要時間を短縮したから

はやぶさ」の運転開始時に投入されたのはE5系ですが、この車両は最高時速を320km/hに引き上げ、導入時に「グランクラス」設置で話題性を集めた車両。JR東日本は「はやぶさ」を「時速300km/h以上で走行する列車」と位置づけ、例え車両はE5系でも、最高速度275km/hのE3系と併結運転する列車は従来の「はやて」とし、追加料金は取りませんでした。値上げ分に見あった車両と速達性を提供し、速くない列車では追加料金を徴収しないなど徴収基準を厳格に決めていたからそれほど反発がなかったのではないかと思います。「のぞみ」の場合は増発に合わせて新型車両が登場するわけでも最高速度が引き上げられるわけでもありませんでしたから、便利にはなるけど実質値上げに見合うインパクトがなかったのも理解を得られなかった理由ではないかと思います。

 

理由2:割引切符利用者にも配慮したから

「のぞみ」の大増発時に反発を受けた理由の一つが、「フルムーンパス」「ジパング倶楽部」などの企画切符がのぞみ不可だったため利便性が悪くなる事でした。今でもフルムーンやジパングなどの「のぞみ」利用はNGですが、「はやぶさ」の場合はフルムーンやジパングNGにすると盛岡以北で乗れる列車がほとんどなくなってしまう事もあり、これらの切符でも「はやぶさ」利用はOKになりました。この点はJR東海よりも柔軟かなと思います。

 

理由3:東京〜青森間と東京〜大阪間の需要や社会的影響の差

やっぱりこれが最大の理由だったんじゃないかと思います。東海道新幹線は日本の大動脈であり、年間1億6000万人以上が利用する世界一の高速鉄道路線。それだけに実質値上げとなると社会への影響は大きく、単なる一鉄道会社の値上げでは済みません。さらにこの頃は航空各社が東海道新幹線の競合路線で攻勢を強めていた時期でもあり、世間の注目を浴びやすい時期でもありました。こうした要因が重なって大きな反発につながったのではないかと思います。

これに対して東京〜青森間の利用者数は東京〜大阪と比べるべくもなく、競合する航空路線ともそれほど大きな競争はありません。それどころかJR東日本JALは協力関係にあり、共同で旅行商品を作ったりSuica付きのJALカードを出したりJAL系列の台湾の旅行会社にJR東日本が出資したりと、競合関係にあるJR東海とは対照的な蜜月ぶりです。JR東海JR東日本の仲の悪さはこのシリーズでも度々取り上げていますが、JR東日本に取ってもJALにとってもJR東海は「共通の敵」な訳ですから、「敵の敵は味方」というところでしょうか。利用者の数が少なければその分反発する人も少ないわけで・・・

 

 

「のぞみ」の大増発とのぞみ料金の一本化が世論の大きな反発を受けたのも、裏を返せばそれだけ東海道新幹線の重要性が大きいわけですし、利用する人が多いということでもあります。そう考えるとJR東海も下手に世論の反発を受けるようなことはできないのかも知れません。ただ、リニアが完成すれば東京〜大阪間の旅客流動はほぼJR東海の独占になりますから、その時はどうなるか分かりませんが・・・

JJ統合に立ちはだかった「公正取引委員会」の存在

東海道交通戦争、第5章中編はJJ統合を巡る攻防を描きました。


東海道交通戦争第六章「シャトル便戦争」中編

 

最高裁判所が「憲法の番人」なら、公正取引委員会は「経済の憲法」とも言われ、自由な市場競争を担保するための法律である独占禁止法を運用する、いわば「独禁法の番人」。特定の企業や団体が利益を独占しないよう目を光らせており、大企業の合併もここが首を縦に振らなければ実現は不可能です。

 

JALJASの統合の際も、統合で大手航空会社が減ることで寡占化が進み、運賃が高止まりすることを懸念して、問題ありとの見解を発表しました。当時の公取委の事例を転載します。

 

(平成13年度:事例10)日本航空(株)及び(株)日本エアシステムの持株会社の設立による事業統合:公正取引委員会

 

(1) 大手航空会社(JALJAS及び全日本空輸株式会社)が3社から2社に減少することにより,これまでも同調的であった大手航空会社の運賃設定行動が更に容易になる。

(2) また,就航企業数が少ない路線ほど特定便割引運賃が全便に設定される割合及びその割引率が低くなっており,大手航空会社数の減少は競争に重大な影響を及ぼす。

(3) このような状況の下,混雑空港における発着枠の制約等により,新規参入等が困難であることから,新規参入が同調的な運賃設定行動に対する牽制力として期待できない。

(4) その結果,航空会社が設定する運賃について,価格交渉の余地がない一般消費者がより大きな不利益を被ることとなる。

 

要は「競争相手が減り、新たな競争相手が育つ環境がなければ航空運賃が高止まりし、消費者に不利益をもたらす」というわけであり、JALJASも発着枠の返上や新規参入会社の支援といった譲歩案を提示し、国土交通省も新規参入会社の育成を約束してやっと承認を取り付けました。その後、5年に一度羽田空港の発着枠の配分を見直す制度ができ、大手航空会社の発着枠を回収して新規会社に再配分することである程度は競争が活発化しました。(もっとも、その新規会社もスカイマーク以外は某青い会社の支配下にあるので、本当に公正な競争なのかは疑問符がつきますが)

 

ともあれ、もしあそこで公取委がストップをかけずに無条件に統合を認めていれば、新規参入会社はろくな後押しも受けられずに力尽きて破綻し、本当にANAJALの複占になっていたかもしれません。かつては「吠えない番犬」と揶揄された公取委が吠え始めたのはこの辺りから。最近では某芸能事務所の件で調査を始めたというニュースで注目されている公取委。自由競争は野放しにすれば強者による寡占・独占を招くことにも繋がりますから、これからも「独禁法の番人」として目を光らせてほしいものです。

東京〜大阪航空シャトル便の終焉

 

迷航空会社列伝と並行して制作している「東海道交通戦争」。第6章は航空シャトル便→JALJAS統合→東海道新幹線品川駅開業と取り上げましたが、製作中にJALANAからシャトル便運賃の終了が発表されました。

 


東海道交通戦争 第六章 「シャトル便戦争」前編

 

JAL国内線 - シャトル往復割引

www.ana.co.jp

 

発表された、と言ってもプレスリリースで発表したわけではなく、当該運賃を紹介するページで「10月28日搭乗分をもって取り扱いを終了します」と一言書かれただけ。2000年のシャトル便の開始当初は大々的に発表され、新幹線とのガチンコバトルともてはやされましたが、2002年のJALJASの統合後は尻すぼみになり、いつの間にか各社の割引運賃にわずかに名前を残すだけになりました。

 

・・・というか実を言うと「まだ残ってたのか!」と突っ込みたくなったのが本音です。もうシャトル便なんて覚えてる人も少ないのに・・・でも改めて条件を見てみると、予約変更OK、出発前なら取消料無料(払戻手数料は別途)、マイル加算100%など、普通運賃に近い使い勝手の良さ。料金も特割運賃よりは高いですが、特割が予約変更NG、取消料あり、マイル加算率75%ということを考えると、そこそこ安くて使い勝手がいいシャトル便割引はビジネス利用に根強い支持があったのかなと思います。だからこそ名前が忘れられても今まで残っていたのかと。

しぶとく残っていたシャトル便割引がなくなる理由はJALANAもアナウンスしていません。ですが、消えるということは「利用する人が少なく、廃止しても苦情はほとんど無い」と判断した結果なのでしょう。

シャトル便割引の終了まであと2ヶ月あまり。東京〜大阪間の航空路線の利便性を向上させるきっかけになり、新幹線との価格競争を本格化させた「シャトル便」。シャトル便が果たした役割は大きいものですが、間もなく名実ともにその歴史的役割を終えようとしています。

スカイマーク復活とANAとの関係

2年前に経営破綻したスカイマークですが、その後の業績は急回復しています。

先月には破綻以来初めて新しい機材の発注を発表し、再び路線拡大に舵を切りました。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

まあ、スカイマークの場合は本業の業績が悪かったというよりはA330導入のコスト増加分をペイできなかったのと国際線用に発注したA380の違約金問題が原因なので、737単一機種に戻して路線も絞り、身の丈にあった経営にすれば十分利益の出る事業構造だったわけなので、当然といえば当然なのですが。

もちろん、スカイマーク自身も定時出発率の改善やサービスの充実、価格戦略などの努力を行っていたのも大きな理由です。さらに言えば経営破綻後にスポンサーのインテグラルから来た佐山展生会長の手腕も大きく、特に破綻直後すぐに全国の支店を回って従業員の不安払拭に努めたり、従業員とのコミュニケーションを重視し、「従業員を幸せにする」と言い切る姿勢はコンチネンタル航空の再建を彷彿とさせます。

 

www.advertimes.com

 


名航空会社列伝「全米最高の航空会社」コンチネンタル航空 第1話・前進プラン

 

今の業績と会社の社風であれば、数年後の再上場も十分可能だと思います。

そこで問題になってくるのは、今後の成長戦略とANAとの関係でしょう。現在のスカイマークは国内線のみの運航ですが、国内線は世界情勢や戦争リスクに左右されにくいという利点がある一方、人口減少が予想される日本では今後の成長が見込めないという問題を抱えています。破綻前のスカイマークが出した答えが大型化と長距離国際線への参入でしたが、身の丈に合わない拡大策であえなく頓挫しました。

今のスカイマークが大型機を導入するとは考えにくいので、当面は安全性と定時出発率の向上という基本的な品質向上を図りつつ、737で飛べる範囲の近距離国際線への参入、というのが現実的な拡大策かなと思います。

 

そして、再建スポンサーでもあるANAとの関係。再建計画時に予定されていたANAとのコードシェアは未だに進まず、スカイマーク側にのらりくらりとかわされ続けている印象です。ANA側はコードシェアと同時に予約システムもANAのableに統一するよう求めていますが、able統一=航空会社の生命線である予約システムや顧客データをANAに握られることを意味しており、エアドゥやソラシドエア同様、事実上のANA傘下になることを意味しています。

独立性を維持したいスカイマークとしては予約システムの統一は絶対にしたくないでしょうが、ANAにしても本来必要のなかったA380を発注してまでもエアバスを味方にして再建スポンサーになったわけですし、再建したらはいさようなら、というわけにもいかないでしょう。今は付かず離れずの状態ですが、今後スカイマークの再上場が現実になれば、ANAとの関係をどうするかという問題が必ず出てきます。再上場を機にANAの保有株を売ってもらい、売却益を得ることでよしとするか、あくまでも予約システム統一とコードシェアを求めていくのか。ANAとの関係がどうなるかで、将来のスカイマークの姿は大きく変わってくるのかもしれません。

 

 

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エアベルリン破産でどうなるエティハド航空

8月15日、ドイツ第2位の航空会社、エアベルリンが破産申請したようです。

 

エア・ベルリン、破産手続き開始 ルフト支援で運航継続

 

破産の直接の引き金は、エアベルリンに出資していたエティハド航空の財政支援打ち切りですが、前々から危ないと言われていたアリタリアと違い、エアベルリンの破産は突然だったので驚きでした。LCCとフルサービスキャリアの中間という位置付けのエアベルリンはワンワールド加盟でルフトハンザに対抗する航空会社として伸びていくと思っていましたが、実際は赤字続きだったようで、2016年12月の決算は7.8億ユーロの赤字に陥ったようです。

アベルリンは当面はドイツ政府のつなぎ融資を受けつつ、当面運航を継続して再建を目指すようですが、ルフトハンザに一部事業の売却を検討しているとのこと。独禁法の関係もあるので会社丸ごとの売却は難しいと思いますが、ヨーロッパでは2位の会社は大抵破産するか1位の会社に呑まれるケースが多いので、エアベルリンはなんとか踏みとどまって欲しいところです。

 

それ以上に心配なのがエティハド航空の財務状態。ここ数年、エティハド航空アリタリアやエアベルリン、ヴァージンオーストラリアなどの航空会社に出資し、独自のアライアンスを形成しようとしていましたが、今年5月にアリタリアが破綻、次いで今回のエアベルリンの破綻と、出資先の会社が次々と破綻しています。バックがアブダビ首長国なので簡単には倒れないとは思いますが、独自の航空連合形成に他の航空会社に次々と出資、というのはこの会社を彷彿とさせるんですよね・・・

 


迷航空会社列伝「空飛ぶ銀行のご乱心」スイス航空 中編・背信のグラウンディング

 

スイス航空も拡大路線が裏目に出て消滅したケースですが、出資先の会社が次々と経営悪化→経営陣がその責任を取らされて更迭、というのはエティハド航空も同じなんですよね。ここ数年、航空業界を席巻した「中東御三家」も、カタール航空は周辺国の断交で苦境に立たされていますし、エティハドも出資先の破綻で先行きに暗雲が立ち込めてきました。今のところ御三家で順調なのは29年連続黒字のエミレーツ航空くらい(それでも前年より利益は減ってますが)。エティハドの今後の経営状態によっては、航空業界のパワーバランスが変わるのかもしれません。

チャーター便専門会社は日本では育たない

今回はJASのDC−10からの流れで、JASが設立したチャーター便専門会社・ハーレクインエアを取り上げました。

 


迷航空会社列伝「振り回された道化師」ハーレクインエア

 

 

ハーレクインエアがどうなったかは動画本編を見て頂くことにして、ここでは「チャーター便だけで食っていけるのか」というそもそも論を話していきたいと思います。

 

  

・チャーター便専門会社が成立する条件

チャーター便は定期便に比べて運航の条件が緩い分、仕事は自分達で探してくる必要があり、季節や経済情勢によって需要が変わり、稼働率が左右されるというデメリットがあります。例えて言うなら定期便は路線認可を取った高速バス、チャーター便はその都度の契約で運航する貸切バスと例えれば分かりやすいのではないでしょうか。

そうは言ってもチャーター便輸送の全てが不安定という訳ではなく、海外のチャーター便専門会社はきちんと飯のタネを確保しています。

 

①メッカ巡礼のハッジ・チャーター

これは動画内でも少し触れましたが、東南アジアや中東・アフリカなどのイスラム教徒が多い国では、毎年12月のメッカ巡礼(ハッジ)の時期になると大量のチャーター便が運航されます。短期間に300万人ものイスラム教徒が動きますので、メッカの最寄のジッダ空港ではハッジ期間中のみ使用される巨大専用ターミナルがあるほど。この地域のチャーター便運航会社にとっては格好の稼ぎ時となり、自社運航便やガルーダインドネシア航空やサウジアラビア航空などの大手航空会社のウエットリース運航でガンガン飛ばしています。巡礼輸送は景気に左右されることがないので手堅い仕事と言えます。

 

②ヨーロッパ各地のバカンス需要

ヨーロッパでは6月〜9月にかけて2週間〜5週間の長期休暇を取る人が多いですが、その時期になるとリゾート地へ向けたチャーター便が多数運航されます。それゆえヨーロッパにもチャーター便専門会社や、チャーター便が主力の航空会社が多数存在しています。有名どころではトーマスクック傘下のコンドル航空やスイスインターナショナル航空傘下のエーデルワイス航空など。こちらは景気に左右される部分もありますが、ハッジチャーターよりも長期間人の移動がありますし、日本のお盆休みよりは分散されていますので、これもチャーター便専門会社にとっては稼ぎ時です。

 

③アメリカ軍などの軍事輸送

世界各地に基地を持ち、兵士を駐留させているアメリカ軍は長期休暇や異動、家族の面会などで定期的に人員の異動が発生するため、民間機を借り上げてチャーター便を飛ばすことがあります。日本でも「パトリオット・エクスプレス」という定期チャーター便が週1便、日本各地の米軍基地とシアトルの間を往復しています。アメリカのチャーター便専門会社にとってはこの軍事輸送は貴重な収益源で、JASのDC-10も在籍したオムニエア・インターナショナルも米軍輸送に携わるチャーター便会社のうちの一つです。

 

これらの事から、チャーター便専門会社が成立するには、日本で通常考えられるような団体旅行のチャーター便などの他にも収益源を持つことが条件であり、定期便では到底賄えないような巨大な人的移動や、兵員輸送のような特殊な移動があるからこそチャーター便専門会社が食べていける余地があるのです。

 

 

・そもそも日本でチャーター便専門会社が育つわけなかった?

 そう考えると、日本でチャーター便専門会社が育たなかった理由も自ずとはっきりします。一言で言えば「確実に収益が見込める仕事がなかった」この一点に尽きます。イスラム教徒がほとんどいない日本の航空会社がハッジチャーターなんて参入できるわけありませんし、ヨーロッパまで飛行機を持って行っても現地のチャーター便専門会社に太刀打ちなんてできないでしょう。米軍輸送にしてもアメリカにしてみれば自国の航空会社の利用が第一でしょうし、そもそも政治的にも微妙な軍事輸送に日本の航空会社が手を出すこと自体、不可能なことでしょう。

 そうなると残る仕事は旅行会社主催のチャーター便利用ツアーや借主が飛行機を借りきるオウンユースチャーターくらいですが、ツアー利用では旅行会社に主導権を握られる上に便数もそう多くはありませんし、オウンユースチャーターにしても年に何十本もあるわけではありません。チャーター便専門会社が自社で客を集めて飛行機を飛ばそうとしても、今度はそれを販売するノウハウと販売網が必要となりますし、仮に整備できたとしても、大型機1機分を埋めるだけの客を集められるかどうかは未知数です。というかそれができなかったから日本ではチャーター便専門会社が育たなかったとも考えられますが。

 

 ・日本のチャーター便専門会社の失敗は必然だった

JAL系列のジャパンエアチャーター、ANA系列のワールドエアネットワーク、そしてJAS系列のハーレクインエア。いずれもチャーター便事業は長続きせず、ジャパンエアチャーターはリゾート路線運航会社のJALウェイズになった上にJAL本体に吸収、ワールドエアネットワークは休眠会社になり、ハーレクインエアもまた消え去りました。この3社の中で成功の可能性があったのは徹底的なブランディングを行ったハーレクインエアだったかもしれませんが、それでも安定した巨大な需要がない日本市場だけでは現状維持が精一杯だったと思います。

この後動画にする予定なので多くは語りませんが、近年大手旅行会社HISがタイにチャーター便専門会社を設立したのも、タイの方が人件費が安いという理由だけではないと思います。チャーター便需要自体は東南アジアの方が仕事が多いので、日本への定期チャーターがダメだった時はハッジチャーターにターゲットを変えて食いつなぐ・・・というのは考えすぎでしょうか。

JASのDC−10発注は正しかったのか

今回の迷旅客機列伝はJASのDC−10を取り上げました。

 

 

 

 

DC−10導入の経緯は動画をご覧頂くとして、こちらの方では「JASがDC−10を発注したのは正しかったのか」という点に絞ってお話ししたいと思います。

 

結論から言うと「JASに絶対必要な機種ではなかった」となってしまいますが、JASにしろANAにしろ、国際線参入に浮かれて長距離用機材を景気良く発注したのも仕方ないことかなと思います。

 

・「45・47体制」で我慢を強いられた航空業界

ご存知の通り、1970年代から80年代半ばまでは俗に言う「45・47体制」によって大手三社の事業範囲は厳しく制限されていました。特に国際定期路線の運航が認められたのはJALのみで、ANAに認められたのはアジアなどの近距離チャーター線のみ。JAS(当時はまだ東亜国内航空TDA))に至ってはチャーター便の運航すら認められなかったわけで、世界中にネットワークを広げるJALを指をくわえて見ているしかありませんでした。

それが85年のNCA(日本貨物航空)の参入で「国際線はJAL一社のみ」の原則が崩れ、さらに太平洋路線での不平等解消のためには日本側も複数社参入の方がいいとの方針転換で「45・47体制」は撤廃、いきなり国際線参入の道が開けたわけです。さらに1985年9月のプラザ合意後、日本は急速な円高となり、好景気も相まって海外旅行者数が急増していた時期ですので、長年国際線参入を悲願としていたANAはもちろん、TDAも「うちらも国際線飛ばせば入れ食いじゃね?」と考えてもおかしくなかったと思います。

 

・国際線と成田の発着枠を甘く見ていた

しかし、立て続けに国際線を開設したはいいものの、蓋を開ければANAJASも客が乗らずに大赤字。国際線を飛ばしていた既存の会社は過去の搭乗データや顧客動向などの蓄積で「どこに飛ばせば儲かるか」という目安を立てることができましたが、国内線しか運航していないANAJASにはそんなデータはなく、参考になるのは日本人の出入国記録だけ。早い話が「ここの路線は便数が多いから客が多そう」「ここの路線なら相手国の認可も降りそうだからとりあえず飛ばしとくか」くらいのノリで手当たり次第に就航していったようなものでした。

さらに動画内ではあまり触れませんでしたが、成田空港の発着枠が満足に取れなかったのもANAJASが苦戦した理由の一つでした。それでもANAの場合は国内線の黒字で体力はあり、航空権益確保のために第二の国際線運航会社を育てる必要があった政府の意向もあってまだ成田のスロットはもらえた方でした(1993年で週66便)

これに対してJASの方はソウル線週7便、シンガポール線週4便、ホノルル線週2便のわずか週13便のみ。デイリー運航のソウル線はまだしも、他の2路線は使い勝手が悪い上に海外での知名度はゼロに等しく、頼みの日本国内でも「え?JASって国際線飛ばしてるの?」くらいの認識だと思いますので、営業セールス的に苦戦したことは想像に難くありません。特に収益性の高いビジネスクラスの利用率はかなり低迷していたようで、747−400なんて入れて欧米路線なんて飛ばしていたら史実よりも早くJASの経営は行き詰まっていたと思います。知名度も体力も空港の発着枠もなかったJASに世界中にネットワークを広げる体力はなく、結局は短期間で中長距離路線から撤退してしまいました。

 

・最初から身の丈に合った国際線展開をしていれば・・・

 以上の事から「長距離国際線を飛ばしたい気持ちは分かるがJASのDC-10導入は正しくなかった」となった訳ですが、もし最初からA300で飛べる範囲の路線、つまり韓国・中国路線にターゲットを絞っていればまた違った将来があったのではないかと思います。実際、短期間で撤退に追い込まれたシンガポール・ホノルル線と違い、唯一残ったソウル線は安定した搭乗率で最後までJAS国際線の看板路線でしたし、その後のJASの国際線展開も香港・広州・西安昆明・上海と中国路線重視でした。

 もしJASが背伸びせず、最初からこのあたりの路線をターゲットにして展開していれば、機種を一つ余計に増やして運航コストを上げる事もありませんでしたし、JALともANAとも違う、独自の中国路線ネットワークを築いてJASの収益に貢献したかも知れません。三番手には三番手の戦い方があったわけで、規模もブランド力も違う一番手、二番手の後追いをしても上手くいかないのは当然なわけで・・・

 

 

とは言ったものの、これらのたらればは結果が分かっている今だから言えるわけで、ガチガチの規制で守られて安定した収益を上げていたところに好景気と国際線参入で浮かれていた当時の経営陣にそんな先を見据えた経営判断ができたのか、と言われるとなんとも言えません。

というか私が同じ立場だったらやっぱり「国際線参入で入れ食いだぜヒャッハー!!」って言ってるでしょうねえ・・・