〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

チャーター便専門会社は日本では育たない

今回はJASのDC−10からの流れで、JASが設立したチャーター便専門会社・ハーレクインエアを取り上げました。

 


迷航空会社列伝「振り回された道化師」ハーレクインエア

 

 

ハーレクインエアがどうなったかは動画本編を見て頂くことにして、ここでは「チャーター便だけで食っていけるのか」というそもそも論を話していきたいと思います。

 

  

・チャーター便専門会社が成立する条件

チャーター便は定期便に比べて運航の条件が緩い分、仕事は自分達で探してくる必要があり、季節や経済情勢によって需要が変わり、稼働率が左右されるというデメリットがあります。例えて言うなら定期便は路線認可を取った高速バス、チャーター便はその都度の契約で運航する貸切バスと例えれば分かりやすいのではないでしょうか。

そうは言ってもチャーター便輸送の全てが不安定という訳ではなく、海外のチャーター便専門会社はきちんと飯のタネを確保しています。

 

①メッカ巡礼のハッジ・チャーター

これは動画内でも少し触れましたが、東南アジアや中東・アフリカなどのイスラム教徒が多い国では、毎年12月のメッカ巡礼(ハッジ)の時期になると大量のチャーター便が運航されます。短期間に300万人ものイスラム教徒が動きますので、メッカの最寄のジッダ空港ではハッジ期間中のみ使用される巨大専用ターミナルがあるほど。この地域のチャーター便運航会社にとっては格好の稼ぎ時となり、自社運航便やガルーダインドネシア航空やサウジアラビア航空などの大手航空会社のウエットリース運航でガンガン飛ばしています。巡礼輸送は景気に左右されることがないので手堅い仕事と言えます。

 

②ヨーロッパ各地のバカンス需要

ヨーロッパでは6月〜9月にかけて2週間〜5週間の長期休暇を取る人が多いですが、その時期になるとリゾート地へ向けたチャーター便が多数運航されます。それゆえヨーロッパにもチャーター便専門会社や、チャーター便が主力の航空会社が多数存在しています。有名どころではトーマスクック傘下のコンドル航空やスイスインターナショナル航空傘下のエーデルワイス航空など。こちらは景気に左右される部分もありますが、ハッジチャーターよりも長期間人の移動がありますし、日本のお盆休みよりは分散されていますので、これもチャーター便専門会社にとっては稼ぎ時です。

 

③アメリカ軍などの軍事輸送

世界各地に基地を持ち、兵士を駐留させているアメリカ軍は長期休暇や異動、家族の面会などで定期的に人員の異動が発生するため、民間機を借り上げてチャーター便を飛ばすことがあります。日本でも「パトリオット・エクスプレス」という定期チャーター便が週1便、日本各地の米軍基地とシアトルの間を往復しています。アメリカのチャーター便専門会社にとってはこの軍事輸送は貴重な収益源で、JASのDC-10も在籍したオムニエア・インターナショナルも米軍輸送に携わるチャーター便会社のうちの一つです。

 

これらの事から、チャーター便専門会社が成立するには、日本で通常考えられるような団体旅行のチャーター便などの他にも収益源を持つことが条件であり、定期便では到底賄えないような巨大な人的移動や、兵員輸送のような特殊な移動があるからこそチャーター便専門会社が食べていける余地があるのです。

 

 

・そもそも日本でチャーター便専門会社が育つわけなかった?

 そう考えると、日本でチャーター便専門会社が育たなかった理由も自ずとはっきりします。一言で言えば「確実に収益が見込める仕事がなかった」この一点に尽きます。イスラム教徒がほとんどいない日本の航空会社がハッジチャーターなんて参入できるわけありませんし、ヨーロッパまで飛行機を持って行っても現地のチャーター便専門会社に太刀打ちなんてできないでしょう。米軍輸送にしてもアメリカにしてみれば自国の航空会社の利用が第一でしょうし、そもそも政治的にも微妙な軍事輸送に日本の航空会社が手を出すこと自体、不可能なことでしょう。

 そうなると残る仕事は旅行会社主催のチャーター便利用ツアーや借主が飛行機を借りきるオウンユースチャーターくらいですが、ツアー利用では旅行会社に主導権を握られる上に便数もそう多くはありませんし、オウンユースチャーターにしても年に何十本もあるわけではありません。チャーター便専門会社が自社で客を集めて飛行機を飛ばそうとしても、今度はそれを販売するノウハウと販売網が必要となりますし、仮に整備できたとしても、大型機1機分を埋めるだけの客を集められるかどうかは未知数です。というかそれができなかったから日本ではチャーター便専門会社が育たなかったとも考えられますが。

 

 ・日本のチャーター便専門会社の失敗は必然だった

JAL系列のジャパンエアチャーター、ANA系列のワールドエアネットワーク、そしてJAS系列のハーレクインエア。いずれもチャーター便事業は長続きせず、ジャパンエアチャーターはリゾート路線運航会社のJALウェイズになった上にJAL本体に吸収、ワールドエアネットワークは休眠会社になり、ハーレクインエアもまた消え去りました。この3社の中で成功の可能性があったのは徹底的なブランディングを行ったハーレクインエアだったかもしれませんが、それでも安定した巨大な需要がない日本市場だけでは現状維持が精一杯だったと思います。

この後動画にする予定なので多くは語りませんが、近年大手旅行会社HISがタイにチャーター便専門会社を設立したのも、タイの方が人件費が安いという理由だけではないと思います。チャーター便需要自体は東南アジアの方が仕事が多いので、日本への定期チャーターがダメだった時はハッジチャーターにターゲットを変えて食いつなぐ・・・というのは考えすぎでしょうか。

JASのDC−10発注は正しかったのか

今回の迷旅客機列伝はJASのDC−10を取り上げました。

 

 

 

 

DC−10導入の経緯は動画をご覧頂くとして、こちらの方では「JASがDC−10を発注したのは正しかったのか」という点に絞ってお話ししたいと思います。

 

結論から言うと「JASに絶対必要な機種ではなかった」となってしまいますが、JASにしろANAにしろ、国際線参入に浮かれて長距離用機材を景気良く発注したのも仕方ないことかなと思います。

 

・「45・47体制」で我慢を強いられた航空業界

ご存知の通り、1970年代から80年代半ばまでは俗に言う「45・47体制」によって大手三社の事業範囲は厳しく制限されていました。特に国際定期路線の運航が認められたのはJALのみで、ANAに認められたのはアジアなどの近距離チャーター線のみ。JAS(当時はまだ東亜国内航空TDA))に至ってはチャーター便の運航すら認められなかったわけで、世界中にネットワークを広げるJALを指をくわえて見ているしかありませんでした。

それが85年のNCA(日本貨物航空)の参入で「国際線はJAL一社のみ」の原則が崩れ、さらに太平洋路線での不平等解消のためには日本側も複数社参入の方がいいとの方針転換で「45・47体制」は撤廃、いきなり国際線参入の道が開けたわけです。さらに1985年9月のプラザ合意後、日本は急速な円高となり、好景気も相まって海外旅行者数が急増していた時期ですので、長年国際線参入を悲願としていたANAはもちろん、TDAも「うちらも国際線飛ばせば入れ食いじゃね?」と考えてもおかしくなかったと思います。

 

・国際線と成田の発着枠を甘く見ていた

しかし、立て続けに国際線を開設したはいいものの、蓋を開ければANAJASも客が乗らずに大赤字。国際線を飛ばしていた既存の会社は過去の搭乗データや顧客動向などの蓄積で「どこに飛ばせば儲かるか」という目安を立てることができましたが、国内線しか運航していないANAJASにはそんなデータはなく、参考になるのは日本人の出入国記録だけ。早い話が「ここの路線は便数が多いから客が多そう」「ここの路線なら相手国の認可も降りそうだからとりあえず飛ばしとくか」くらいのノリで手当たり次第に就航していったようなものでした。

さらに動画内ではあまり触れませんでしたが、成田空港の発着枠が満足に取れなかったのもANAJASが苦戦した理由の一つでした。それでもANAの場合は国内線の黒字で体力はあり、航空権益確保のために第二の国際線運航会社を育てる必要があった政府の意向もあってまだ成田のスロットはもらえた方でした(1993年で週66便)

これに対してJASの方はソウル線週7便、シンガポール線週4便、ホノルル線週2便のわずか週13便のみ。デイリー運航のソウル線はまだしも、他の2路線は使い勝手が悪い上に海外での知名度はゼロに等しく、頼みの日本国内でも「え?JASって国際線飛ばしてるの?」くらいの認識だと思いますので、営業セールス的に苦戦したことは想像に難くありません。特に収益性の高いビジネスクラスの利用率はかなり低迷していたようで、747−400なんて入れて欧米路線なんて飛ばしていたら史実よりも早くJASの経営は行き詰まっていたと思います。知名度も体力も空港の発着枠もなかったJASに世界中にネットワークを広げる体力はなく、結局は短期間で中長距離路線から撤退してしまいました。

 

・最初から身の丈に合った国際線展開をしていれば・・・

 以上の事から「長距離国際線を飛ばしたい気持ちは分かるがJASのDC-10導入は正しくなかった」となった訳ですが、もし最初からA300で飛べる範囲の路線、つまり韓国・中国路線にターゲットを絞っていればまた違った将来があったのではないかと思います。実際、短期間で撤退に追い込まれたシンガポール・ホノルル線と違い、唯一残ったソウル線は安定した搭乗率で最後までJAS国際線の看板路線でしたし、その後のJASの国際線展開も香港・広州・西安昆明・上海と中国路線重視でした。

 もしJASが背伸びせず、最初からこのあたりの路線をターゲットにして展開していれば、機種を一つ余計に増やして運航コストを上げる事もありませんでしたし、JALともANAとも違う、独自の中国路線ネットワークを築いてJASの収益に貢献したかも知れません。三番手には三番手の戦い方があったわけで、規模もブランド力も違う一番手、二番手の後追いをしても上手くいかないのは当然なわけで・・・

 

 

とは言ったものの、これらのたらればは結果が分かっている今だから言えるわけで、ガチガチの規制で守られて安定した収益を上げていたところに好景気と国際線参入で浮かれていた当時の経営陣にそんな先を見据えた経営判断ができたのか、と言われるとなんとも言えません。

というか私が同じ立場だったらやっぱり「国際線参入で入れ食いだぜヒャッハー!!」って言ってるでしょうねえ・・・

 

 

 

ANAの737−700型、今後はどうなる

今回はYoutube限定でANAの737−700型を取り上げました。

 


迷旅客機列伝「主役のはずが日陰者」不運の新型機・ANA737-700(前編)

 


迷旅客機列伝「主力のはずが日陰者」不運の新型機・ANA737ー700(後編)

 

 

今じゃ忘れられてるかもしれませんが、最初はこの機種だけで小型ジェット機をすべて賄おうとしてたんですよね。発注を決めた2003年は国際線は同時多発テロやイラク戦争、経済悪化などで需要が冷え込み、国内線もJJ統合でANAの絶対的優位が脅かされていた頃。ANAも選択と集中を進めていた頃でした。国際線は長距離路線を縮小して成長著しい中国路線にシフト、国内線も不採算の地方間路線を縮小し、伊丹発着路線の機材小型化と多頻度運行化、ホテル事業の売却や機種削減など、収益拡大のためなりふり構わぬリストラを進めましたが、737−700型の発注もダウンサイジングと多頻度運航、内際兼用による近距離国際線の拡大を目論んでのことだったと思います。

 

戦略そのものは間違っていなかったと思います。実際、その後の日本の航空業界は機材のダウンサイジングと多頻度運航が主流になりましたし、ANAの近距離国際線も90年代とは比べ物にならないほど拡充しました。特に中国路線に関してはJALよりも広大なネットワークを構築しています。しかし、統一機種として選定したのが737−700型、というのは少々小さすぎました。動画内でも触れた通り、プレミアムクラス設置で座席数が減ったことで767−300との差が大きくなりすぎ、需要の低い地方路線では単価の高いプレミアムクラスは供給過剰。これが原因でANAは途中から737−800に切り替え、さらには近距離国際線のA320neo発注の遠因になったのではないかと思います。

 

では、今後ANAの737−700はどうなるのか。私の個人的な考えですが、近距離国際線用にA320neoが入ったことで国際線はそっちに任せ、国内ローカル線用に回されるのではないかと思います。他社との競争の面ではパーソナルモニターもコンセントも機内Wifiもない737−700はサービス面で見劣りしてしまいますし、機齢10年前後ならそろそろ内装の手直しも必要な頃。それなら機内設備も充実しているA320neoを737−700の代わりに国際線に入れ、押し出した737−700で経年化したA320ceoや737−500の入れ替えを行う、と考えるのが自然でしょう。おそらく、その際に機内もプレミアムクラスを撤去してモノクラス仕様にするのではないでしょうか。

 

とは言ったものの、エアドゥなどの他の会社にリースされる可能性もあると思いますし、思い切って737−700は全部売却、なんてこともあり得るかもしれません。結局は所有者であるANAの戦略次第なのでいち素人がどうこう言える話ではないのですが、少なくとも737−700のポジションが今のまま、というのだけは考えられません。今後の処遇によってはこの話、続編が必要になるかも・・・?

 

 

全日空商事 1/200 ANA 737-700 JA03AN NH20020
 

 

「リンク」が倒産してしまった本当の理由

まず解説一発目は先日アップした最新作から。

 

 

九州地盤の地域航空会社として就航準備を進めたものの、お金が足りなくて倒産したリンク。就航計画では福岡と北九州をハブに展開をするようでしたが、地方路線中心という事業計画に不安を覚えて出資者が集まらなかったのが致命傷となりました。

 

しかし、地方路線中心のリージョナル航空会社というビジネスモデルは決して珍しいものではなく、アメリカでは大手航空会社の地方間路線を委託運行する会社が数多く存在します。有名どころではMRJ最大の発注先でもあるスカイウエスト航空や、アラスカ航空系列のホライゾンエアなどで、これらの会社の路線が枝葉のようにアメリカの中小都市をきめ細やかに結んでいます。アメリカのハブアンドスポーク方式はリージョナル航空会社が支えていると言っても過言ではありません。

 

日本でもリージョナル航空会社の成功例があり、仙台空港をベースにANAの地方間路線を補完する存在のIBEXエアラインズと、名古屋空港静岡空港をベースに、主にJALの撤退路線に就航して規模を拡大したフジドリームエアラインズFDA)の2社が代表例です。いずれも大手航空会社と手を結びつつ、経営の独立性は維持している事、そして母体企業が存在する事が共通点です(IBEXは会計ソフト会社日本デジタル研究所が親会社、FDAは静岡の物流グループ・鈴与の完全子会社)

 

リンクがスターフライヤーと手を結んだのも、SFJの東京ー北九州線の利用者を取り込み、自社の宮崎線や松山線に誘導する意図もあったのではないかと思います。しかし、SFJ自体が中小航空会社レベルの事業規模であり、後ろ盾としては心許ないものでした。

航空会社はどうしても初期コストが高くなるので、資本力のある会社がバックにいるか否かが成功の分かれ道となります(でかいバックがいてもダメなケースもあるわけですが、それはまた別の機会に)。特にリージョナル航空会社は需要の小さい路線とターゲットにするという特性上、採算性の面で厳しいものがあります。FDAも鈴与が腹を括って全額出資したからこそ、周囲の環境や外野の声に左右されることなく会社を軌道に乗せられましたし、IBEXも日本デジタル研究所が出資しなければ今頃会社自体が存在しなかったかもしれません。

日本のリージョナル会社やコミューター会社は大手航空会社の系列か、就航先の自治体の支援があるか、さもなくば会社を支えてくれる母体があるかのいずれかであり、単独で航空会社を立ち上げようとしたケースは計画段階で行き詰まるか、就航に漕ぎ着けてもすぐに行き詰まって消えて行きました。それだけ航空会社は軌道に乗せるのが難しい事業であることを示しており、勢いだけでは絶対に成功しません。

 

動画内ではリンクが行き詰まったのはお金がなかったからと結論づけましたが、もっと言えばバックアップしてくれる後ろ盾がいなかったのが致命傷でした。もしきちんとした会社がバックについていれば、あるいは最初から競合しようとせず、大手の会社のフィーダー路線として生きる道を選択していれば、リンクのフルカラーのATR72が九州の空を飛んでいたのかも知れません。九州ベースの短距離路線・というターゲットは悪くはないんですけどね。

ブログ始めました

初めての方は初めまして。

Youtubeニコニコ動画で私の動画をご存知の方は、いつも動画をご覧頂き、ありがとうございます。

 

まず簡単に自己紹介を。私はYoutubeニコニコ動画で航空や鉄道系の解説動画をアップしています、akamomoです。

現在は航空会社の栄枯盛衰や歴史、経営戦略やトンデモ要素などを紹介する「迷航空会社列伝」と、東京ー大阪間の鉄道と航空の争いを中心に戦後日本の交通の歴史を紹介する「東海道交通戦争」を中心に投稿しています。

 

これからこのブログでは投稿した動画の補足説明や解説、航空や鉄道関連の話題を紹介していきたいと思います。どうぞ宜しく。